路地裏ぎょうざとくつろぎの古民家(宇都宮さんぽ 後編)
2018年4月9日|てらしまちはる
宇都宮散歩後編。引き続き宇都宮をぶらぶらしてみました。
目のさめるような「黒カレー」をいただいた喫茶「AKAI TORI」を出ると、目の前には宇都宮二荒山神社の大きな鳥居が。立派な構えだなあ。これを左手に見て、JR宇都宮駅をそれとなく目指します。宇都宮散歩前編はこちら。
大通りに面して立つ二荒山神社の鳥居
大通りを数分歩き、ちょっと路地に入ってみたくなりました。ひょいと曲がって探検すれば、行列のできたお店を発見。「ぎょうざ専門店 正嗣」の黄色い看板が出ています。さすがは、ぎょうざの街です。
おや? これってもしかして「まさし」と読むんじゃなかろうか。私はその時、記憶のかなたの情報をたぐり寄せていました。
たしか誰かが言っていたのです。宇都宮には『まさし』というぎょうざ店があり、何軒か食べた中で一番好きな味だったと。しかもその店にはごはんもサイドメニューもなく、ストイックな営業スタイルがまたいいのだ、と。
ぎょうざ専門店 正嗣 宮島店
検索すると、それはやっぱりこの店でした。さっき食べたばかりだけど……。う〜ん、背に腹はかえられない! そんなに言うなら味わってみたい(今の今まで忘れとったがな)。これはデザート、と妙な言い訳をしつつ、行列に加わりました。
20分くらいで中に案内されると、記憶の声の言うとおり、これはたしかに「ストイック」。10個余りの客席がぐるりと囲むのは、数人がいそがしく動きまわる厨房です。そこでは絶えずぎょうざが焼かれ、茹でられています。
鉄板に向かい、もくもくと焼ぎょうざを焼くおじさん。ぐらぐらとたぎる湯を見つめ、ちょうどの頃合いで水ぎょうざを引きあげるお兄さん。お客にサーブするお姉さん。口に運ぶ幾人ものお客。だれもひと言も発せず、神経を一点に集中しています。
正嗣の「水餃子(左)」「焼餃子」
私にも運ばれてきました。酢じょうゆにつけて、まずは水ぎょうざをひと口。もちもちがするりとのどをつたいます。の、飲み物みたいだ……。口中滞在時間のあまりの短さに、存在を確かめるべくもう一個。また一個。もうまた一個。お客が雑談をしないわけが、わかったような気がします。
焼きぎょうざは皮が凛々しく、身がたっぷり。こちらはまさに王道の一品です。ああしかし、デザートにしては多すぎたな、やっぱり。
食べすぎたら、歩く! 両手をふって、歩幅を大きく。目的地のことはしばらく忘れて、見知らぬ街をやみくもに歩きまわることにしました。
ずんずん進んで気づいたのですが、このあたりは坂がまったくありません。ぺったりとした平地で、変化といえば田川という川が流れていることくらいです。
面白いのは、数分歩けば区画の印象が変わることです。大きなビルの谷間にいたと思えば、小さな店の集まる通りに出たり、住宅街に入ったり。あちこちに大谷石造りと思われる蔵がきれいに残ってもいます。
ウォーキング中に見かけた銀行ショーウィンドウ
ウィンドウには地元民芸品が。かわいいお守り「黄鮒」
2時間ほどそうしているとお腹もこなれて、ちょっとくたびれてきました。JR宇都宮駅はもう目の前です。そろそろ東京に帰るかなと思った、その時でした。
ビルを背にして堂々と立つ、黒塗りの古民家に行き当たったのです。さっきまでよく見かけた古い蔵よりも、ひときわ大きい建物。近寄ってみると、資料館として一般公開しているようです。最後に寄ることにしました。
駅前に堂々たる存在感
ここは「旧篠原家住宅」といい、江戸末期からしょうゆ醸造や肥料商などを営んだ地元豪商の邸宅でした。敷居をまたいで黒塗りの主屋に足を踏み入れれば、広い土間に広い帳場が。この土間にはあきないのためのしょうゆ樽が置いてあり、しょうゆを買い求める人がひっきりなしに訪れたそうです。資料館となった今も建物に人の息遣いが感じられる気がするのは、家がにぎわいを覚えているからなのかもしれません。
広々とした土間と帳場
帳場裏の仏間から庭をのぞむ
かわいらしい箱階段で二階へ
主屋の二階にもあがれましたよ。二階客間、床の間横の地袋には、ゆうゆうと泳ぐ鯉の姿がありました。江戸の終わりから明治にかけてこの地で活躍した、狩野派の絵師・菊地愛山の手によるものだそうです。気になる方はぜひお出かけを。
主屋の縁側と庭の植物
箱階段で一階へおり、主屋を抜けて、庭へ来ました。昭和の道路拡張で広さが半分になってしまったそうですが、さまざまな植物が植えられ、こんな街中にありながらゆったりとした時の流れをたたえています。サンシュユに藤、南天、沈丁花。春日灯篭に雀がきて、さえずりはじめました。
鹿の模様がかわいい春日灯篭
つくばいは小さく、素朴な風合い
二階からの庭の眺め。主屋と蔵に囲まれている
蔵の外壁。大谷石と漆喰が美しい
そして、ここにも大谷石。立ち並ぶ木造の三つの蔵の外壁に使われていました。石と石の間をまっ白な漆喰で塗りかためたさまは、現代的なパターンデザインをも彷彿とさせます。
縁側に腰かけて、つめたく薫る空気を胸いっぱいに吸いこむと、子どものころに遊んだ庭を思い出して懐かしくなりました。
「古い」と「新しい」が同居する街、宇都宮。あてのないさんぽにまた来てみたい、冬の夕暮れでした。
大通りに面して立つ二荒山神社の鳥居
大通りを数分歩き、ちょっと路地に入ってみたくなりました。ひょいと曲がって探検すれば、行列のできたお店を発見。「ぎょうざ専門店 正嗣」の黄色い看板が出ています。さすがは、ぎょうざの街です。
おや? これってもしかして「まさし」と読むんじゃなかろうか。私はその時、記憶のかなたの情報をたぐり寄せていました。
まさかの食後ぎょうざ、美味
たしか誰かが言っていたのです。宇都宮には『まさし』というぎょうざ店があり、何軒か食べた中で一番好きな味だったと。しかもその店にはごはんもサイドメニューもなく、ストイックな営業スタイルがまたいいのだ、と。
ぎょうざ専門店 正嗣 宮島店
検索すると、それはやっぱりこの店でした。さっき食べたばかりだけど……。う〜ん、背に腹はかえられない! そんなに言うなら味わってみたい(今の今まで忘れとったがな)。これはデザート、と妙な言い訳をしつつ、行列に加わりました。
20分くらいで中に案内されると、記憶の声の言うとおり、これはたしかに「ストイック」。10個余りの客席がぐるりと囲むのは、数人がいそがしく動きまわる厨房です。そこでは絶えずぎょうざが焼かれ、茹でられています。
鉄板に向かい、もくもくと焼ぎょうざを焼くおじさん。ぐらぐらとたぎる湯を見つめ、ちょうどの頃合いで水ぎょうざを引きあげるお兄さん。お客にサーブするお姉さん。口に運ぶ幾人ものお客。だれもひと言も発せず、神経を一点に集中しています。
正嗣の「水餃子(左)」「焼餃子」
私にも運ばれてきました。酢じょうゆにつけて、まずは水ぎょうざをひと口。もちもちがするりとのどをつたいます。の、飲み物みたいだ……。口中滞在時間のあまりの短さに、存在を確かめるべくもう一個。また一個。もうまた一個。お客が雑談をしないわけが、わかったような気がします。
焼きぎょうざは皮が凛々しく、身がたっぷり。こちらはまさに王道の一品です。ああしかし、デザートにしては多すぎたな、やっぱり。
ぎょうざを消化しなければ
食べすぎたら、歩く! 両手をふって、歩幅を大きく。目的地のことはしばらく忘れて、見知らぬ街をやみくもに歩きまわることにしました。
ずんずん進んで気づいたのですが、このあたりは坂がまったくありません。ぺったりとした平地で、変化といえば田川という川が流れていることくらいです。
面白いのは、数分歩けば区画の印象が変わることです。大きなビルの谷間にいたと思えば、小さな店の集まる通りに出たり、住宅街に入ったり。あちこちに大谷石造りと思われる蔵がきれいに残ってもいます。
ウォーキング中に見かけた銀行ショーウィンドウ
ウィンドウには地元民芸品が。かわいいお守り「黄鮒」
2時間ほどそうしているとお腹もこなれて、ちょっとくたびれてきました。JR宇都宮駅はもう目の前です。そろそろ東京に帰るかなと思った、その時でした。
ビルを背にして堂々と立つ、黒塗りの古民家に行き当たったのです。さっきまでよく見かけた古い蔵よりも、ひときわ大きい建物。近寄ってみると、資料館として一般公開しているようです。最後に寄ることにしました。
駅前に堂々たる存在感
宇都宮の豪商が住んだ古民家
ここは「旧篠原家住宅」といい、江戸末期からしょうゆ醸造や肥料商などを営んだ地元豪商の邸宅でした。敷居をまたいで黒塗りの主屋に足を踏み入れれば、広い土間に広い帳場が。この土間にはあきないのためのしょうゆ樽が置いてあり、しょうゆを買い求める人がひっきりなしに訪れたそうです。資料館となった今も建物に人の息遣いが感じられる気がするのは、家がにぎわいを覚えているからなのかもしれません。
広々とした土間と帳場
帳場裏の仏間から庭をのぞむ
かわいらしい箱階段で二階へ
主屋の二階にもあがれましたよ。二階客間、床の間横の地袋には、ゆうゆうと泳ぐ鯉の姿がありました。江戸の終わりから明治にかけてこの地で活躍した、狩野派の絵師・菊地愛山の手によるものだそうです。気になる方はぜひお出かけを。
主屋の縁側と庭の植物
箱階段で一階へおり、主屋を抜けて、庭へ来ました。昭和の道路拡張で広さが半分になってしまったそうですが、さまざまな植物が植えられ、こんな街中にありながらゆったりとした時の流れをたたえています。サンシュユに藤、南天、沈丁花。春日灯篭に雀がきて、さえずりはじめました。
鹿の模様がかわいい春日灯篭
つくばいは小さく、素朴な風合い
二階からの庭の眺め。主屋と蔵に囲まれている
蔵の外壁。大谷石と漆喰が美しい
そして、ここにも大谷石。立ち並ぶ木造の三つの蔵の外壁に使われていました。石と石の間をまっ白な漆喰で塗りかためたさまは、現代的なパターンデザインをも彷彿とさせます。
縁側に腰かけて、つめたく薫る空気を胸いっぱいに吸いこむと、子どものころに遊んだ庭を思い出して懐かしくなりました。
「古い」と「新しい」が同居する街、宇都宮。あてのないさんぽにまた来てみたい、冬の夕暮れでした。
この記事を書いた人
てらしまちはる Chiharu Terashima |ライター
児童書編集を経て、フリーライター。専門分野である絵本、こどもアプリの話題を中心に、ウェブ媒体や雑誌で執筆中。2016年より始めたイタリア・ボローニャブックフェア独自取材を今年『ボローニャてくてく通信』として発表する。
ボローニャてくてく通信
・Facebook:https://www.facebook.com/bolognatektek/
(2018/3/1公開)
・公式HP:http://terashimachiharu.com/
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